城北アシュラムの過去と現在
新宿西教会 川村秀夫
1.その誕生
第1回城北アシュラム(1973年1月)が開催されるまでの経緯は手元に具体的な資料がないので詳細なことは分からないが、「祈祷生活」創刊号(日本アシュラム誌の前身、1972年9月1日発行)の高瀬恒徳師の巻頭言「われら何をなすべきか」を読むと、当時の関東地区の諸先生方の熱心な祈りによってアシュラム運動が展開され、各地にアシュラムが立ち上がり祈りの輪が広がっている姿を知る事が出来る。結びの言葉に「行け! そしてキリストのために死のう」と書かれている。諸先生方はこの精神でアシュラム運動を推進されていたと思う。
E.スタンレー・ジョンズ師はアシュラムが日本に深く根付くためには、個々の教会、個々の地区だけの活動ではなく、全体がシステム化され、連携を保って活動するとき、アシュラム運動が力強く前進すると考えていた。
諸先生方の努力の結果、1972年5月10日、日本クリスチャン・アシュラム連盟が結成され、これまで活動していた地区アシュラム活動の取りまとめ役として、また国際的な繋がりを強めながら地区活動を支援するための機能が始動し始めた。その結果、ますます地区活動は活発となり、連盟結成8か月後の1973年1月16,17日に池の上キリスト教会を会場としで第1回の城北アシュラムが開催された。池の上キリスト教会 山根可弌師、新宿西教会 岡田 實師、江古田教会 海老沢宜道師、西川口教会 横山義孝師等の熱い祈りがあり、実現したものであった。
2.現在までの経緯
2回から5回までは10月、1月、11月開催となっていたが、第6回からは毎年2月11日(祭日)に「一日アシュラム」を開催することを決め、現在まで41年間45回続けてこられた。この恵みを心から感謝したい。(11回は例外)会場は原則参加教会の持ち回りとし、池の上キリスト教会、 新宿西教会、更生教会、天門教会(江古田教会)が城北アシュラム委員会を組織して運営と会場を提供してきた。
城北アシュラムは41年間続いているがその内39年間のデーターが揃っている。それによれば延べ参加人数は2649人与えられている。39年間の平均出席数は68人であり、10年区切りで見ると58人・52人・78人・61人・64人である。アシュラムの熱は継続され、アシュラムの恵みに浴している人が多く出ている。アシュラム出席者の平均年齢は次第に高くなってはいるが、最近は20代、30代の若い方の出席も目立っている。更に若い人たちが参加できるようにアシュラムの恵みと喜びを若い人たちに知らせる必要があると思う。
3.城北アシュラム委員会の運営
アシュラムを開催するにあたり、年に6回の準備祈祷会を持ち、その中で前回の反省、会計報告、会計の引継ぎ、次期「主題」の決定、開心、静聴、福音、充満を担当する先生方を決めるなどの作業をしている。また祈りの分団の座長は夫々の教会から選出し奉仕をしてきた。当番会場教会では準備祈祷会で決定した内容にもとづき申込用紙・チラシを作成し年内に参加教会、支援教会と参加希望者、近隣教会に配布している。申し込み締め切りが1月末となっているため当日に配布するプログラムの作成はかなりタイトな作業となっている。プログラムの内容は当日の時間割、担当先生の氏名、座長氏名、名簿と参加者分団番号の記載などである。名札はお互いを知るために大変に有用であるのでその準備も必要である。当番教会ではアシュラム当日、会場準備、受付、案内、会計(会費の徴収)と昼食の準備、集合写真の撮影などの作業を担当してきた。
4.一日アシュラムに備えて
城北アシュラムは1日アシュラムであり、その運用の基本は「アシュラムの守り方」に記載されている内容に沿っている。午前10時から始まり、午後4時45分に終了することとしている。開会に際しては午前9時45分から担当する牧師、座長、会場運営者が一堂に集まり準備祈祷会を持っている。問題点があるならばそこで臨機応変に解決するようにしている。今まで何度が困難に遭遇してきたが、知恵が与えられ無事に困難を乗り越えられてきたことを主に感謝する。
一日アシュラムはアシュラムのすべてを凝縮した形のものなので、大変せわしい感じもするが、しかしこれも信仰を強くするための訓練であると思うので、これに対応すべき準備即ち気持ちが途切れないようにすることを願っている。気持ちの集中即ち神経の集中が出来たならば、さらに大きな恵に浴することができると私は思う。一日の初めにある開心の時に備えて自分のニードについて十分に祈ってきたならば、開心の恵みが更に大きく受けられると思う。分団の時は自分のニードを周囲の人に祈ってもらうため、内容を明確にしておく必要があるが、共に祈ってもらえることにより、ニードは整理され、御声の聞こえる準備が整うものと思う。御言葉が与えられ解決の道が開かれることを期待し待ち望むようにしている。
次の静聴の時には与えられた聖書箇所を静かに読み、聖書の言葉を聴く。場合によっては微かなる御声を聞く事が出来るかもしれない。そして福音の時には御声がさらには増幅されてこの身に降り注がれるかもしれない。そうであるから、この福音の時に備え神経を集中していきたいと心がけている。静聴、福音の時を通して、もし与えられた恵みがあるならば、二度目の分団の時に積極的に発表するがよいと思う。発表することによって更に明確なものとなっていくし、自分の宝となっていくと思う。充満の時に此の恵みを参加者全員で分かち合って共に喜び、祝福に満ち溢れ新しい命を頂いて家路につければと願っている。