アシュラムによる教会形成
東京新生教会牧師 横山 基生
東京新生教会は、前身の黒目氷川台伝道所が1988年3月に開設されてから、26年が過ぎました。その歴史の中で、今年のアシュラムが第21回となります。現在の東久留米市野火止の地に新会堂が与えられてから毎年アシュラムをも持つことができたことは本当に主の恵みです。
初代牧師の横山義孝師は、アシュラムを通してご自身が霊的な覚醒をいただいた経験から、「アシュラムによる教会形成」という表現をよく使いました。具体的にどのようなことを意味するのか、最初はわかりませんでした。2008年から東京新生教会の主任担任教師に就任し、具体的に教会形成のかじ取りを任せられる中にあって、その意味することが徐々に判かってきました。
私は、西川口教会が母教会ですが、ここでもアシュラムが毎年なされ高校時代から参加するようになり、アシュラムがどのようなものであるかを個人的には知っていました。内にある霊的な課題を分かち合う、開心の時に自らのニーズをしっかりと語ることは毎回チャレンジであり緊張しました。直接伝道献身をして母教会を去って以来、アシュラムに参加する機会がなくなっていました。海外邦人宣教に関わる働きを終えて、東京新生教会の主任者としての働きが始まり、過去6回のアシュラムを経験させていただきました。その中で知らされたことは、多くの教会員がアシュラムが好きで、楽しみにしていることを知りました。その背後には、一人一人がアシュラムを通して祈りの交わりに入れられている喜びがあるのだと気づかされました。 また、主に心を向け、御言葉に生かされ信仰の歩みを進めることを、アシュラムを通してなされているだと知りました。主任牧師としてアシュラムの備えをしつつ、「イエスは主である。イエスは実によみがえられた」の信仰のスローガンの素晴らしさが分かってきました。ここに、「アシュラムによる教会形成」の内実を見ることができます。
アシュラムは、本来的には少なくとも2泊3日で、他教会からの信徒が集まり、自然豊かなリトリートセンター等で行うことが求められるのかと思います。一教会でアシュラムを持つことの意義は、どこにあるのかと時に考えることがありました。東京新生教会では毎年他教会からゲストとして信徒の方をお招きし聖日礼拝の中で立証していただきます。毎年主は素晴らしい証し人を私たちの教会に送って下さったことは、素晴らしい恵みでした。ゲストの方には、日曜日の礼拝の前に備えられた静聴の時から、午後の祈りの小グループの分団と充満の時まで参加していただきます。このことが、一教会でアシュラムを行う際には欠かせない条件ではと示されます。一人でも他教会の方が参加されることによって、良き霊的な緊張感が生まれ、一人一人のアシュラムへの取り組みが深まるのです。また、慣れ親しんだ教会員同志であるがゆえに、より深いニードを分かち合える、共に祈り合いつつその後の教会生活を進められるという恵みもあることを覚えます。これらから一教会でアシュラムを毎年行うことの意義をこの6年間の主任者としての経験から深く知ることができました。
現在、私は主に摂理の中に、アシュラムを経験していない教会に新しく赴任しました。主の導きがあれば、この教会におけるアシュラムを開催し、「アシュラムによる教会形成」を行いたいと導かれています。
アシュラムとの出会い
東京新生教会 杉山 久恵
三浦綾子著「ちいろば先生物語」を読んだ頃、私の信仰が今よりもっとさ迷っている頃でした。その本の中で「アシュラム-スタンレー・ジョーンズのアシュラムという退修会」そういう記述に出会いました。しかし退修会という日本語さえも初めて聞く言葉で、意味をよく理解できないままに読み終わったのです。
ちょうどその頃、兵庫県相生市に住むクリスチャンの友人から手紙が届きました。「アシュラムという泊りがけの聖会に参加してきました。第1日目はみことばに浸って学びと祈り、夜就寝の時間からは連鎖祈祷。みんなで一時間ずつ分担して朝が明けるまで、祈りを決して途切れさせてはならない。私は真夜中の2時~3時となった。目覚まし時計もないので寝過ごしてしまうのではないかと、とても心配だった。寝る前に2時10分前に起こして下さいと、よくよくお祈りして床に入るしかなかった。
そうしたら、なんときっちり1時50分に目覚め、祈りの鎖を途切れさせる事なくつなげられた。神様は本当に祈りを聞いて下さる。アシュラムのこの体験はすばらしい」との内容でした。
その時、私もチャンスがに出会ったら一度参加してみたいと思ったのですが、今振り返るとそれは、信仰からのものではなく、好奇心の面が大であったと思います。それから数年後、東京新生教会に集うようになりました。夏の伝道集会に参加し、秋、冬を迎え1月のある日、2月にはアシュラムを行います、と予告されました。
アシュラム、スタンレー・ジョーンズ、連鎖祈祷、聞いたことのある言葉が次々と、先生の説明の中に出てきて、こんなに身近にあったんだと、神様の導きのようなものを感じました。その後、横山義孝先生からアシュラムについての、詳しい説明が与えられるにつれて、祈ることの本質について理解が深められました。
アシュラムは、男女、身分、職業、年齢、等、人の外面の一切を捨てて、内にある私そのものが神の御前にある、集まりである。ということが、とても気に入りました。そして、周囲に居る人を気にしないで、ありのままを包み隠さず御前の神に祈りなさいというお勧め、祈りに対する答えは神様が与えて下さる、人が与えるものではないというお導きも、とても嬉しいものでした。
アシュラムを通して、人に聞いてもらう祈りではなく、神に聞いていただく祈りという、祈りの本質を学びました。
東京新生教会アシュラムは、毎年2月の土日に実施されます。どうしてこんなに寒い時期にと、思ったこともありましたが、今年はなにかいつもと違う感覚を味わいました。2月15日、東京は二週続きの大雪の夜の連鎖祈祷、2時~3時の担当です。ストーブの音の他は何も聞こえない深い冬の真夜中、ヨハネ伝14章、15章、16章を一章ずつ読んで、教会の友、知人、家族、世界の人々の救い、を祈りました。
以前は難しく、すぐに眠くなってしまった所でしたが、今年はちがいます。一言一言が、アーメン、アーメン、イエス様おっしゃるとおりです、という思いの連続で読むことができました。充満の時、もう一人の姉妹も私と同じように、今年は聖書の読み方がいつもと違って心の奥に染み透ったと発表されました。
恵みによりアシュラムを10数回経験させていただいた今、アシュラムとはどんな会なの?と聞かれたら、「アシュラムとは、一人一人が、イエス様の御懐にぴったりと入れていただく集まりだ」と私は答えます。
今年のアシュラムも豊かに祝されました。主、イエス様ありがとう。